ざっくり言うと
秋っぽくなってきた。
体調
出かけるときにお腹が痛くなったりならなかったりしている。コロナのワクチンを打つから外来は延期してもらった。
新コロワクチン2回目の記録(モデルナ)
当日 ちょっと腕痛い。
翌日早朝 体がだるくて明け方3時頃起床。発熱していた。
翌日 カロナールを絶えまなく飲み続けるも上がっていく体温。最終的には39.3℃
くらいまで上がった。久しぶりにしんどかった。
翌々日 37℃くらいの熱はあるものの、体はラクになってくる。夜には36℃台になっていた。
【結論】熱が下がればなんてことないが、移植後高熱は出ていなかったので少しこたえた。
記者さんと話をした
先日記者の方とお話しすることになり、取材を受けそうになった。受けそうになったというのはどういうことかというと、事前のヒアリングにて病気や患者会や就活の話をしたが、記事の企画としては弱いとの結論に両者なり、取材にまでは至らなかった。ということである。
記者さんは「AYA世代の苦悩」や「病気になったことで就活で嫌な思いをした経験」を聞きたかったようだが、お眼鏡に叶うエピソードを持ち合わせていなかった。別に記事にならなかったことに関する恨み節は特にない。
心のどこかで、事前のヒアリングと見せかけて、本当の言葉を引き出そうとしているのでは?と疑っていたがそんなことはなかった。
敢えて言うとすれば、病気についての聞かれたときに「当時僕が言われた骨髄移植の生存率は70%くらいで~」って話をしたんだけど、それに対して「結構(生存率)高かったんですね~」と返され、もはやその発言が記事のタネになるぞ…と思った。が、大抵のおじさんはこんなもんだし、反面教師として捉えておきます。
記事にならない人生
結局はインパクトのあるようなストーリーじゃないと人に読まれないわけで、俺もAYA世代的苦悩が全くないわけじゃないけど、たぶん他の人よりも少ないのだなあと思うわけである。
悩みは他の人と比べるものではないが、メディアとなると話は変わる。
就活も病気でのディスアドバンテージがあったかもしれないけれど、それより博士課程まで行ったこの年齢で専門外の仕事に就こうとする方がネックになっていたはずなので、あまり一般に共感される内容ではなかった。
記事になる人の人生はキレのある人生なのだろう。比べて俺の人生は記事にするには若干物足りないように聞こえたのかもしれない。
とは言いつつ、「AYA世代の悩み」が溢れ出る程なくて良かったし、就職の際に病気のことで差別を受けなくて良かったのは間違いない。(本当は病気で切られていたことに気付いてないだけかもしれないが…。)
メディアは物事の一部を分かりやすく切り取って伝えるのが仕事なので、逆に言えば切り取られない・切り取れない物事だってたくさんある。分かりやすく説明できないことだってあるのだ。全ての出来事が、記事になること=良いこと、である訳ではないと思ってる。
今は出回る情報が多すぎて全てが見えているような錯覚に捉われそうになる。誰かに切り取られてしまった余分な部分に、妙味みたいなものが隠されていると思って、それを他人に見せてあげるなんてことはせず、自分達だけで大事にとっておくのも良いのかもしれない。
補足
就活に関して、そもそも採用差別のないように採用活動をしている企業が増えているはずなので、仕事をする上で問題がない場合はそこまでがん経験を心配する必要はないように思う。もし何か差別的なことがあったとしても、その辺の感度が低い組織であるという事実は、求職者側が足切りをするための判断材料になり得るだろう。そんな会社願い下げじゃ!って感じで。