悪性リンパ腫治療の記録

最近は思ったことを書いてる感じです。てきとうです。Amazonアソシエイトやってます。

SNSに載せないの(退院後131-132週目)

ざっくり言うと

寒いのでカーペットを敷いた。

 

体調

変わらず。 

 

資格とかカウンセリングとか人生相談とかの意味

ちょっと前に人生相談をしてた血液疾患の人の記事が炎上していて、そもそも何を求めてその人に相談したのか分からないけど、結局人は権威的なものを感じる人から何か言われて安心したいだけなんだろうなと思った。(炎上したのは相談者と同じような属性を持つ外側の人が嚙みついたからであって、相談者が何か公の場で言った訳ではない。)

SNSにおいてはフォロワーが多いだけでその人の言っていることが正しいと思ってしまう人が多くいるし、よく分からない資格やら誰もが知ってる企業・大学出身だと言うだけでその人の言っていることが正しいと思い込む人がいる。

気持ちはわからなくもない。入院していて、ベッドにどんよりと横たわっているときに信頼している先生から何か言葉をかけられるとめちゃくちゃ安心するのだ。(白い巨塔でもそのような描写がある。)

指針があったり、自分よりも先に行っているような誰かが道を示してくれたら安心してまっすぐ歩くことができる。でも大抵の(生命に直結する以外の)場合においてまっすぐ進むことが必ずしも良いとは限らないし、単一の指標だけを頼りに進むのは危険でもある。

悪いことではないし批判する意図は全くないが、世の中のビジネスには安心感を得るためのものがかなり多い。不安を煽るのは言語道断だが、安心感は何かやる上での一つのキーワードであるな。

 

 SNSに載せないの

インターネットが発達し、多くの人がSNSをやっている。きっとキラキラしている良いものをSNSに載せていて、そうでもないものは載せないという選択を無意識にしている。

この前、適当に写真を撮る人を見た。SNSに載せるためではなく自分のためだけに写真を撮るのだ。

実際にSNSに載せるか否かの真偽はわからない。ただ、自分(もしくは自分との距離が極めて近い人)のための記録が、写真や動画の初期の目的だと思う。何かの発表会の動画やどうでもいい日常の写真みたいな。ポジティブな意味でSNSに載せない記録、つまり自分だけの記録の存在にスポットライトが当たったとき、とても尊く感じた。

写真でも気持ちでも、対外に明かしていない部分にこそ、その人の大切なものが表れるのかもしれない。誰もが言わない気持ちや言えない気持ちをもっている。それは決して「SNSに載せられないもの」ではなく、自分がとても大切にしているものなのだ。

 

長くなってしまった。2つに分けても良かったんだけどまあいいや。

それでは。