悪性リンパ腫治療の記録

最近は思ったことを書いてる感じです。てきとうです。Amazonアソシエイトやってます。

春は曙ブレーキ(自宅療養42-44週目)

ざっくり言うと

段々と暖かく感じる日が増えてきて春の訪れを感じる。

春休み(とされる期間)中。研究室に春休みの概念はない。

 

体調

特に変わらず。外に出ると花粉の影響か目が赤くなる。移植すると花粉症治る説はどの程度調べられているのか。

歯医者に検診に行ったら親知らず抜く話が出たのでうえ~って感じ。

 

最近

春の訪れを感じると書いたけど、ふと道を歩いているときに思い出す春は一昨年の春のことである。この辺で過ごす春は三回目なのだが、去年は春を感じることはほぼなかったからなのかもしれない。今年は梅が咲いて、桜が咲き出す季節の流れを目にすることができた。

病院だと温度も一定だし、窓から見る遠くの季節を眺めているしかなかった。朝の冷え込みから気温の変化を感じる瞬間が少し嬉しかったりした。僕が入院していたのは7か月くらいだったけど、それでも色々な感覚が鈍るのには十分な時間だった。使わない器官や感情は鈍ってしまうというのは本当なんだなと思う。刺激がない生活が続くと、体の消耗は最低限のようでも心の感度は下がってしまって、気力が湧かなくなってしまう。病院では身体的な治療はしてくれるが、精神的な部分のフォローは人手が足りていないように感じる。そもそも制度があるのかどうかというレベルだと思う。その部分は家族や周囲の人達に任されているのが現状だと思う。長期の入院になってくると家族でさえも刺激ではなくなり、身近な人も疲弊してくる。社会との繋がりというと難しいと思うけど、やはり同じような境遇の人と繋がれる環境が身近にあれば少しは良いのかもしれない。明確な解決方法が今は思いつかないのがもどかしいが、エンターテイメントのうまい使いどころなのか。

まとまりのない文になったが、とりあえず僕は移植してそろそろ一年が経つ。一年後生きてるかなと思っていたが、油断しなければ大丈夫そう。

 

著者 あとがき

一人称が僕だったか俺だったか、はたまた拙者だったか忘れたので僕にした。次回以降も覚えていれば僕で行きます。皆様の有意義な春を願ってますので僕の分も願って下さい。