悪性リンパ腫治療の記録

最近は思ったことを書いてる感じです。てきとうです。Amazonアソシエイトやってます。

2年後に

  悪性リンパ腫(T-LBL)の治療のための同種造血幹細胞移植をしてから2年が経ちました。本当はもっと早く、区切りの良い1年とかで投稿しようと思っていたのですが、何となく先延ばしになっていました。さらに延ばそうかとも、いっそのこと投稿しないで追記し続けようかな、とも考えましたが、当時の感覚を忘れないうちにネットの海に投げ込んでしまおうという気分になったので、このタイミングになりました。だからタイトルも一年後→1年と半分→2年後に、と変わっています。どうでも良い情報ですね。

 

 移植の前、前処置を始めたらもう後には引けなくなり、二度と元には戻れないかもしれないなという、深い穴に落ちていくような怖さを感じたのをはっきりと覚えています。無事生着するだろうか?感染症にかからないだろうか?GVHDの症状はどう出るだろうか?退院できるのだろうか?1ヶ月後生きているのだろうか?などなど。そんなのやってみないと分からない、と言ったらそれまでなのですが、どうしても頭の中でぐるぐるとしている考えを止めることはできませんでした。

 本当に不幸中の幸いだと思うのですが、先生や看護師さん、両親や大切な人たちの支えもあり、無事に生着し、重篤感染症にはかからずに退院する事が出来ました。みんながこれでもか!ってくらいお守りを買ってくれて、20数年生きてきてやっとお守りを買う意味というか気持ちが少し分かりました。移植1ヶ月後くらいにGVHDが少し肝臓に出ましたが、今は落ち着いてきているし、今も生活できています。この前(2020年2月)の採血でやっと白血球の数が5,000/μlを超えました。血小板の数値もL(Low)の記載が消えて、普通の人の血液に近づいてきてます。ありがとう細胞くん達。

 多分この文章やブログだけ読むと何事もうまくいっていて、現代の医療は血液がんをも治してしまうのだな、と思う方もいるかも知れません。もちろん、これから治療を受ける方やその周りの方には過度に怖がらず、やるべきこと(セルフケア)をやって治療がうまく行って欲しいと思ってこの文章を書いています。当時不安の最中にいたときに、移植がうまく行って元気に過ごしている人がいると思うととても勇気づけられたのです。でもそれだけではなくて、現在の治療ができるようになるまでに何十年もの時間をかけて、多くの人の努力と苦しみが蓄積されていることも心に留めておくことも大切かなと思います。治療が落ち着いた頃で良いから。

 移植後の1年はなんだか特殊な期間だったなあと振り返ると思います。少しづつ日常が戻ってきている部分と、もう元には戻らない部分と両方あります。仕方ないと割り切れればいいのですが、宙ぶらりんな気持ちがあったのは事実です。そして焦らないようにと周りに言われていたにも拘らず、どこか焦っていた部分があったように思います。

 その後の1年は、少しずつできることの範囲が広がってきた反面、それだけ以前とのギャップを感じることも多かったです。多分周囲から見れば普通の人と変わらないように見えて、もうほぼ治ったんだと思われてるのかもなとも感じます。でも、すごい気を遣われるよりかは楽なのでありがたいことなのかもしれません。

正直言って、まだ病気になったことを完全に受け入れられてはいません。今後、受け入れられる日が来るのかどうか分かりませんが、1つずつ自分にできることをして、落ち込んだりもしながら(魔女宅より引用)少しずつ前に進んでいきたいと思います。

 

余談とタイトル

ONE PIECEで2年後にシャボンディ諸島で!って言って麦わらの一味のメンバーが各々修行するじゃないですか。あれで1番良いなって思うのが、ブルックが楽しむ時間を作った所です。もちろん冒険は楽しくて、仲間たちと航海することに魅力を感じているのは間違いないんだと思うんですけど、彼は50年くらい1人で過ごしてた分、もう一回みんなで演奏する音楽の楽しさや人生の楽しさを再確認する時間が必要だった。そして、それでも海賊として冒険すること(やラブーンとの約束を果たすこと)を2年後に選んだわけです。技術的な修行を積むことも大切だけど、本当にやりたいことを見極めるために、自分の判断をフラットにするための時間も大切ですよね。ヨホホ。

 

皆さんの一日一日がより良いものになりますよう。それでは。